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何気なく暮らしている日々の中にある『アート』を紹介していくブログ。
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真っ暗闇の中に、ぽつんと1人。
いや、魂のようなぼんやりした光。
それがひとつ。
周りを見渡しても何もなく。
自分だけがひとつ、浮いている。

たまに、そんな気持ちになる時がある。
その暗闇のなかには、ちゃんと家族や友達や知り合いがいて
「僕は独りだ。」なんて幻想はとっくに捨てた。
幼少期の経験や成長過程で、そうなるであろう理由を探しても
あまり思い当たらない。
そういえば幼稚園児の頃から僕は1人になるのが怖かった。
カルマから来るものであれば納得できるが、
前世というものに懐疑的である以上、それは否定しておく。
そうすると、母の愛か?とも思う。正常な母の愛。
あふれ過ぎず、足りな過ぎず。
成長すれば、求める先は変わる。正常に。

自分が自分であるというアイデンティティの欠如。
自己肯定力、という意味では全くそれを感じない。
僕は自分を誰よりも肯定しているし、
だからこそ、他人にも肯定されたいのか?
と、自問自答する。
私が私であることは、自身で証明できる。はずだ。
では、何故、孤独を感じるのか。

夢を見た。
ほんの少し言葉を交わしただけで、
ほとんどを理解できる人と出会う夢。
現実には、あり得ない。いや、あり得そうもない。
支えるでもなく、支えられるでもなく。
これが愛かと、夢の中では感じていたように思う。
現実ではそうはいかないだろう。
相手を尊重している気になって居ても、それは欲望と
さして変わらない。
純粋であればある程、それは私自身を映す鏡だ。
じゃあ、不純が正しいのかと言えば、そんな訳は無いのは
皆さんも知っての通り。
何故、家族や友人でない、特別な存在を求めるのか?
それだけで足りなくなるのか?
私は特別な人に何を求めるのか?
すべてはやっぱり私の幸せなのか。
『相手の幸せ』という『私の幸せ』。
それは、汚れているのだろうか?
違う、何かが違う。ロジックがぐちゃぐちゃになってる。

簡単なことかもしれない。
鏡に愛を囁いてもむなしいだけだ、
世界の人々に愛を囁いても、それは美しいけれど
満たされづらい。
諸行無常。
すべては川の流れのように移ろって留まることはない。
大好きな言葉のはずなのに、
僕自身の心が、それについていけない?
あぁ、これが理想と思想の違いか。苦しいな。
また、よくわからなくなる。矛盾。

いや、僕は証明したい。のかも。
その可能性。『死』以外の絶対。
大それた話だ。1人じゃ無理だ。
違う。そんな話じゃない。
そんなことは求めていない。

ただの笑顔だ。
僕という媒体を介した『笑顔』だ。
その媒体が必要なのだろうか?

この世の中に身を置く以上。
私がいて、誰かがいて。
これが、ブラフマンか。
じゃあ、アートマンを繋げる幸せ?
機能、役割。
違う。

答えがでーなーいー。
あぁ、何ひとつわからないのも、
楽しい。
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プロフィール
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Ryosuke Watanabe
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性別:
男性
自己紹介:
自分や友人の周辺で起こる日々のアートに注目。
面白いこと、紹介していきます。
興味を持った方、感想等はコメントへお願いします。
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